Saturday, January 25, 2014

イエスをキリストと告白する

「いったん信仰が現れた以上、わたしたちは、もはや養育掛のもとにはいない。あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。 キリストに合うバプテスマを受けたあなたがたは、皆キリストを着たのである。」ガラテヤ3章25-27節
 「信仰が現れる」という言葉は、イエスキリストが出現されたということを明確に述べている言葉です。そしてパウロは、「最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。実際わたしは、神の教会を迫害したのであるから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者である。 しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、わたしに賜わった神の恵みはむだにならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきた。しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである。」(Iコリント15:8-10)と証しているのです。このことは、律法という教育係によって準備の備えをいいただいた私たちが、「救い」そのものであるイエスをキリストと信仰によって受けることができたことを指しているのです。「救い」をいただいたということは、死に対する不安や心配をしなくても良いということであり、全財産を投げ出して欲しい宝を持つようなものなのです。(参照マタイ13章)
信仰を持ったという人は、イエスキリストと価値観を共有する人でもあります。地上の栄華を願うのではなくして、天の志がなって、キリストの栄華を喜ぶ者と共に喜び、キリストの御名が褒め称えられることを無上の喜びと思える人達なのです。この事のために私が生かされ、用いられたいと願う者たちです。