Monday, February 26, 2018

裁きか救いか

 「しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。」  
                       マラキ4章2節
 マラキ書の執筆年代は、エズラ―ネヘミヤの時代頃で、ネヘミヤがペルシャ王アルタシャスタに仕えるために帰還した頃であると思われます。このころになると捕囚の苦しみを忘れて、誠実に感謝し律法を守る生活から神さまへの忠実な信仰生活が崩れ、ユダヤの民は雑婚により安息日の順守や心からの信愛をもって神さまに献金をささげる感謝の心がうすれていったようです。「わたしはあなたがたを愛した」と言われる主に対して「あなたはどんなふうに、われわれを愛されたか」と問い返すようになったのです。そこで主は、「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである」(4;5-6)このみ言葉が、捕囚の苦しみから解放されたユダヤ民族が改めて、主なる神さまに従順を誓い従う契機となったように、2017年最後の礼拝に際して、改めて今年一年の間に主がどんな導きと祝福を下さったかを想う
う一時としていただきたいと思います。主は、選び祝福して下さる愛の神さまであり、同時に、厳しく裁き、見捨てる神さまでもあられます。主の憐れみの唯一の条件は、イエスをキリストと告白してお従い続けているかどうかです。