Saturday, January 17, 2009

信仰によって生きる

生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。   ガラテヤ2章10節
 
 クリスチャンが「私は、信仰によって生きています」と言う時、そこには大切な決断をしたことを告白している自覚がなくてはなりません。信仰に生きるいことは、肉(=この世的な)の生き方から永遠に決別したのです。(ガラテヤ5:24,6:14)ですから、それに相応しい生き方を実践していることをもって、示しているはずなのです。勿論、このことが建前であったり、言い訳にすることなく、喜んで、確信を持った生き方として表れていてほしいのです。
このことのために、「神は、あなたがたをキリストと共に生かし、わたしたちのいっさいの罪をゆるして下さった。」(コロサイ2:13)のですから。またパウロはコロサイ書で、「あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。」(3,4)と記し、肉にあって死んだものだけが、霊にあってキリスト共に復活にあずかることを教えてくださっています。
 私たちは、健康のために運動することでも長続きしないような弱くて情けない部分を持っている者ですが、主イエスさまに期待しつつ、諦めないで歩み続けましょう。「誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」(マタイ26:41)と言れる主の守りを信頼して。