Saturday, February 7, 2009

福音を語る喜び

わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇にはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである。 コリント人への第一の手紙9章16節
 「イエスを私のキリスト」と告白した人々をクリスチャンと呼んでいますが、それは使徒行伝11:26の記事で分かるように、始めは蔑視的なあだ名として用いられたものでした。しかし、そう呼ばれることを返って誇りと感じて、そのまま自分達の立場を正確に表現する嬉しい呼び名として受け入れて、使徒行伝の時代から変わることなく今までもそしてこれからも私たちは互いに呼び合うのです。
 クリスチャンの喜びはたくさんありますが、「福音を語らせていただく」ことは、重い責任のあることですが、クリスチャンとされた私たちにとって大きな喜びとするところです。
イエスさまがこの世に来てくださったことが福音(よき訪れ)なのですが、それとても少し説明が必要だと思われます。
人間は唯一の神さまによって造られたのですが、その創造の目的通りに生活しないで、自分勝手な道に進んでしまい、神さまに敵対する立場になってしまったのです。しかし神さまの忍耐は、罪を犯した人間をそのままにしておくことが出来ないほどに愛され、回復の道を備えられたのです。神さまの送り出されたイエスをキリスト=救い主と受け入れ者だけにその罪を赦し、神さまの用意した哀れみを受ける権利をお与えくださったのです。(参照:ヨハネ1章12節)「福音を恥としない」生き方とは、いつでもどこででも「イエスはキリスト」と告白し、自らの喜びの生活を示すことの出来る者であり続ける一人一人として存在を指し示して生き続ける者です。