Wednesday, February 18, 2009

キリストの内に私を見いだす

律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。 ピリピ人への手紙3章9節
 
 「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。」(ガラテヤ2:20)と、パウロはイエスをキリストであると受け入れた後にこう告白している。そしてその理由を、「神に生きるために、・・・律法に死んだ。・・キリストと共に十字架につけられた。」(19節)と、これまで当てにしてきた律法からの別れを宣言しているのです。パリサイ人、若くしてユダヤ教の教師、タルソに於いて大学教育をも受け、しかし指導者としてダマスコへクリスチャン達を迫害に行く途中で、イエスさまと霊的な出会いをしたのです。強い光の中で「さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられる」(使徒行伝9:6)パウロ(当時はサウロ)との出会いからキリストの福音伝道者として活動し、最後は命がけでローマに向かい、どこまでもどこまでも「イエスはキリストである」ことをその全生涯をかけて表し続けたパウロの人生が、神さまの手の内に決められていたかのように、主はぐいぐいパウロをご計画の路線へ導かれるのです。「律法の成就こそ救いの完成」と受け止め、その実践こそ正義であると考えて生きてきたたサウロは、「イエスだけがキリスト」の確信の下、「信仰の義」によって「キリストの内に自分を見出す」者となったのです。イエスさま、パウロを示された神さまは私たちをどのように導いていってくださるのでしょう。