Tuesday, June 9, 2009

たとえ話

『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである』  マタイ13章14~15節
 
 イエスさまは、よくたとえ話をされました。それは、聞き手にとって一番わかり易い話であったからでしょう。農夫が多くいれば、そこでは畑仕事の話。漁師が多くいれば、魚とりの話でした。また何よりも「霊的な理解」のできる者とそうでない者が混在する所で、正しく神の啓示の言葉を理解できるものたちに語るために、たとえをもって語られたようです。それはちょうど暗号が理解できる人に暗号が使われたり、健常者に手話が使われるのに似ているかもしれません。目でよく見、耳でよく聞いて、悟る者を求めて。
「その中に十分の一の残る者があっても、これもまた焼き滅ぼされる。テレビンの木またはかしの木が切り倒されるとき、その切り株が残るように。聖なる種族はその切り株である。」(イザヤ6:13)
見ない民、聞かない民、悟らない民をふるって、残る切り株が、主の御心を行う神の民であると言うのです。神に選ばれた民であるなら、御言葉を聴いたときに悟り悔い改め、主の道に向かう者であって、主の導きによって人生を変え、示す道に向かうのです。
 頑なにならないでとは、頑固に神さまの言われることを拒む、自尊心や立派な経験に固執する自分の生き方を砕いて、神さまの示す特別な恵みである啓示にこれまでの人生を委ねて、新しい神さまと一緒の人生を始めるようにとの全能の神さまの勧めなのです。
神さまの勧めを受け入れて、主と共に喜ぶ人生を掴んで下さい。