Monday, August 17, 2009

神の民とされて

「あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。」    Iペテロ2章10節
 「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」 と強さを誇れる私たちは、今「神の民」とされているからなのです。それも、神さまからの一方的なアプローチと哀れみによってなのです。(ヨハネ1:16~17)その代わりに私から差し出したものは、何もないのです。(Iコリント7:23)それをペテロは、「あわれみを受けた」と言っています。あわれみを受ける前の私たちは、「私」が私の主でした。私が考え、私が行動し、私が責任を持ち、私がその責任を果たしました。時に傲慢になり時に失望もしたのです。このことは全て私が為し得たことだと自慢することも、こんな事しか出来なくてと自信をなくすことも、全ては自分から出て自分に戻ってきたことでした。しかし、神の民となった今は、神さまから恵みを頂き神さまに評価を頂く者とされたのです。アカンの罪に指摘されるように、「あなたがたが、その滅ぼされるべきものを、あなたがたのうちから滅ぼし去るのでなければ、わたしはもはやあなたがたとは共にいないであろう。」(ョシュア7:12)神さまの前の個人でありながら、一人ではなく、その背後に家族、氏族、部族の立場と生命が委ねられている大きな責任が伴うものと変わっているのです。大きな喜びと祝福の背後に果たすべき主への責任があるのです。この責任は、主に対して誠実で真実であることです。「神さまの口からでる一つ一つの言葉」だけをパンとして、生きる姿勢を整えるときに実現するものとなり、不断の生活となるものです。