Monday, January 11, 2010

あがない(贖い)

「血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。」               ヘブル9章22節 
 
  「しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである」(ヘブル9:26~29)このみ言葉は、イエスさまが『血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。』(9:22)の実践として十字架に架かられ、私たちの罪の贖いのために死なれた事実を、「義」の面から記したものです。すなわち神さまは、罪を犯したままで天国に入ることは許されませんでしたが、人にできない贖いを可能にするために、この地上に救い主であるイエスさまをお送りくださったのです。その生涯を記したものが「福音書」であると言うことができますが、ルカ23:39~43にそのクライマックスが記されています。イエスが「罪がないのに罪びととして」処刑さた時、その両隣に十分十字架の刑にふさわしい2人の犯罪者も処刑されたのです。しかし一人は死に一人は永遠の生命に入れらたのです。「信仰による救い」をいただいたのです。救いの信仰の真髄は「イエスさまによる贖い」であると言うことができると思います。イエスさまに贖われたという確信なしに罪から生命に入ることはできないのです。自分の中の「神を知らない、神はいらない」と考える罪を認めて、イエスさまの十字架の贖いを頂く時、生きる者となるのです。(ヘブル10:29)