Tuesday, January 19, 2010

砕かれた魂

「 神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません。」                     詩篇51篇17節 
 
 詩篇51篇の背景にあるのは、ダビデの犯した大きな罪でした。(IIサムエル11:1~17)その罪を見逃さなかった神さまは、若い預言者ナタンをダビデ王の所に送り、その罪を糾したのです。そのような状態の中で神さまに心からの悔い改めを告白し赦しを求めた祈りが詩篇51篇と言うことができるのです。しかも、「ごめんなさい」と言うお詫びだけでなく、明確な言葉を持って勝利した心の様子を見ることができます。
 「ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。わたしに喜びと楽しみとを満たし、あなたが砕いた骨を喜ばせてください。」(51:7~8)しかし罪を犯したままの心はどうでしょうか。詩篇32篇には「わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、ひねもす苦しみうめいたので、わたしの骨はふるび衰えた。
あなたのみ手が昼も夜も、わたしの上に重かったからである。わたしの力は、夏のひでりによってかれるように、かれ果てた。」そのままでは「死」に至る者なってしまうのです。
「キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。」(ピリ2:5)と勧められるままに悔い、具体的に罪を告白し、一つ一つに赦しを確信し、勝利することこそ大切な思いであり、大切な神さまとのつながり方ではないでしょうか。(Iペテロ2:21、Iヨハネ2:6、マタイ11:29)