Friday, January 29, 2010

柔和な人

「 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。」    マタイによる福音書5章5節
 「幸い聖句」と言われるマタイ福音書5章の8項目の「幸いな者よ・・・」の3番目、「心の柔和な者」について聖書から学びます。
 柔和という言葉は、優しい、柔らかい、紳士的、へりくだった(=謙った)と訳されている言葉です。これは、蛮勇→臆病、攻撃的→卑屈、敏感→鈍感の真ん中と言う意味です。過度の怒りから過度のおとなしさの中間の状態と言うことができると思います。決して背筋のピンとなっていないぐにゃぐにゃな人ということではありません。また「3ざる」とか「思わない」ことに決め付けてはならないのです。キリスト者として、「旗印を鮮明」にして「神さまにお任せをします」と言うことができるかということが問われるのです。
モーセは「 モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた。」(民数記12:3)、また、主イエスさまは「 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。」(マタイ11:29)と教えてくださっています。
 私たちは、「イエスさまを『私の主』」と告白する者として、神のみまえに、きわめて尊いものである「 かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない飾りを、身につけるべきである。」(Iペテロ3:4)の勧めを実践する者となりましょう。
私たちの日々の生活の中に、キリストを映し出そうと意識して生活して参りましょう。主は「安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすため」(Iテモテ2:2)が神の御心と記します。