Monday, March 29, 2010

受難週を迎えて

こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。       使徒行伝17章27節
 イースターに向かう1週間を私たちは「受難週」と名付け、主の十字架のお苦しみを覚え、そのお苦しみによって私たちが救い出されたことを感謝する日々を送ってきました。今週もそのように、皆で同じ聖書の箇所を読み、祈る日々を過したいと願っています。ペテロがその第一の手紙2章で「わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。」と著しているように、十字架上の死に至る傷は私たちを義認と新生に導き、私たちは罪赦された新しい生命を受けて生かされたのです。
 この奥義を初代教会の人たちは、「人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。」(v27)と伝えたのです。聖書をいつも身近に持って、神に聞く姿勢を保ち続けることは、いつの時代でもどんな環境でも、私たちが必要とする力を得る秘訣です。聖書だけが神さまからの最後的な唯一絶対のお言葉なのですから、聖書から神さまのお心を受け止める訓練を、黙想の時を通して培っていきたいものです。パウロから教えられていたベレヤの人々は、いつもそのことが聖書(この場合は旧約聖書を指している)のどこに書いてあるのかを熱心に調べていた、と記されています。私たちも、ベレヤの教会に習って、御言葉と熱く係る一群れとなってまいりましょう。「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」主の御言葉には人を救う力があります