Tuesday, March 9, 2010

生ける望み

ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである。Iペテロ3章15-16節
 私たち「イエスだけが私のキリスト=救い主」と明確に告白している人に、神さまは恵みとして、生ける望みを下さっています。
この「生ける望み」というのは、 イエスさまの十字架の死と死からの復活という大きな奇跡を神さまが憐れみによって成就してくださったことによっているのです。この奥義こそ、クリスチャンの持つ大きな特権です。「わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。」(Iペテロ2:24)それが神さまの愛であり、その愛こそが神さまのご意思であって、イエスキリストがこの世で実現されたことなのです。(Iペテロ3:18)この神さまの大きな犠牲を私たちはどうして受けることができたのでしょう。ふさわしい行動や態度が神さまに見られたのでしょうか。いいえ。ただただ神さまの一方的なお恵み、憐れみによるのです。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。」(ヨハネ15:16)それは、私たちを選び、立たせ、証しさせるためなのです。私たちが証し人として、狼の世の中に子羊として存在することこそ主の望まれる事なのです。そうしてまでも神さまは、一人の罪人もむなしく滅び果てることを願っておられないのです。私たちは神さまの意思を成就すべきなのです