Tuesday, August 24, 2010

主の寛容

「 わたしたちの主の寛容は救のためであると思いなさい。このことは、わたしたちの愛する兄弟パウロが、彼に与えられた知恵によって、あなたがたに書きおくったとおりである。」  I1ペテロ3章15節 
IIペテロ3章で「パウロの知恵」と書かれてあるのは、ガラテヤ書、コロサイ書、エペソ書をさしていると思われるし、パウロ書簡のなかでも、ロマ書の2:4の「神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。」を指していると考えられる。神さまの慈愛の目的というか本当の意味は「救い」に見られるのです。
それほどまでに、人は神さまのご愛に気づくのが遅く鈍い者であり、神さまの忍耐を引き出していたのです。加えて、人は創造の初めより与えられた自由を自分勝手に用い、神さまの御用に用いようとはしなかったのです。神を知らない罪と神をいらないとする罪の中に埋没し、永遠の滅びに向かってしまったのです。「神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。」(使徒行伝17:30)と示されているように、終わりの近くなった時代に神は、神さまの裁きに耐ええる準備をするようにと、警告を発して下さったのです。主イエスさまの慈愛と忍耐と寛容を受けることができる間に、罪を悔い改め、自身の神さまとしてイエスをキリスト(=救い主)と受け入れることによって、救いを確かなものとして受け止め、御心に沿った生活を続けていくことを通して、神に喜ばれる従順な僕としての歩みを確立してまいりましょう。