Monday, August 9, 2010

つぶやかないで

「 何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。」  ピリピ2章3ー5節 
 「ツイッター」(Twitterとは、140文字以内の短い発言(ツイート)を入力して、みんなで共有するサービス=公式ウェブサイトの見解)という言葉で「呟く」ことが話題になっていますが、元々は小鳥のさえずりから女性が興奮してしゃべる様を表現した言葉だと辞書に記されています。聖書では、「互いに呟いてはいけない」(ヨハネ6:34)と諭して、この世の考え方や思いに傾くことを警告して下さいます。そうです。主にある者達は、世の基準でものを判断したり行動したりするのではなく、「御心は何か」といつも尋ねる姿勢を持って注意深く、慎重にこの世の生活をすべきなのです。
 パウロはピリピ人への手紙の2章で、謙遜の模範はただ一人イエスさまであるとしるし、①へりくだった心を持って人を自分より優れたものとすること。②他人のことを考えること。③キリストにあって抱いている思いを互いに生かすこと。を教えています。特に③の言葉は文語体聖書では、「汝らキリスト・イエスの心を心とせよ」(5節)とあって、真似るとか習うというのでは生ぬるく、心そのものになれと説くのです。気軽の語り合うのは大いに結構ですが、「主のもの」であるという品格こそ、その交わりに主を見上げる見上げ方に持つものでありたいと思うのです。どこまでも選ばれた神の子供として。