Saturday, September 4, 2010

私だけは

「 彼は言った、「わたしは万軍の神、主のために非常に熱心でありました。イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、刀であなたの預言者たちを殺したからです。ただわたしだけ残りましたが、彼らはわたしの命を取ろうとしています」  列王記上19章14節 
イゼベルから命からがら逃げてきたエリヤは、疲れ、落胆して主に語ったのでした。(v.14)では本当に、主を愛する人はエリヤだけになってしまったのでしょうか。違います。18節に「わたしはイスラエルのうちに七千人を残すであろう。皆バアルにひざをかがめず、それに口づけしない者である」と主はおっしゃるのです。自分ひとりだけが忠実に命がけになっているのではないのです。もちろん神さまはあなたの忠実や熱心さをしっかり見ていてくださいます。そして、更なる成長の為に、時に訓練のため時に思いを整えさせるために困難なことを私たちの目の前に展開なさるのです。(ヘブル12:5-10)失意や恐怖は時に自身を孤独にし、猜疑心の塊と向かわせます。しかし「主は生きておられ」て「主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られる」(詩篇121:8)主なる神さまなのです。決してあなたを孤独や反対に放縦に任すことはされないのです。主を信頼する道を尋ね求めてください。あなたはきっと心地よさを感じるほどに、主のお取り扱いに喜ぶことができることでしょう。「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」(詩篇46:10)と命ぜられる主は、細い声であなたに囁きます。失敗のシンバルも成功のトランペットも細い声をかき消してしまうでしょう。いつも耳を澄まして主の細い声を。