Tuesday, September 21, 2010

思い煩うな

「 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。」                            マタイ6章30~31節 
私たちは日々の生活の中で、なんと多くのことに思い煩うことでしょう。季節や状況の変化に上手に対応する為に、時間を上手に生かして用いるために。できるだけ懸命に生きようとすれば、多くの事に気を使って判断し行動することになります。「思い煩う」という言葉のギリシャ語は「配る」とか「分ける」という意味からできているようです。きっと、色々な事に心を配り過ぎて、何をしようとしているのか解らなくなってしまっている状態を示しているのでしょう。イエスさまは「無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。」(ルカ10:42)とマルタに語りました。そして、マリヤはその良い方を選んだとも。そうです。主イエスさまの語られる一つ一つのお言葉に耳を傾け、その真意を聞き取るのです。そのとき主は、具体的に私たちがわかる程度に噛み砕いて、一人一人に真理をお示しくださるのです。「真理とは何ぞ」「真理とはイエスの主であること」と主はお語りになっています(ヨハネ18章)。
「道であり、真理であり、生命である」(ヨハネ14:6)イエスに従って歩むときに、恵みに浴し、自由を得、主の霊に導かれて真理に到達するのです。私たちは、今救われていることに、大きな感謝をもって、主にお応えしてまいりましょう。