Wednesday, October 6, 2010

約束のものを受け継ぐ人々

「 わたしたちは、あなたがたがひとり残らず、最後まで望みを持ちつづけるためにも、同じ熱意を示し、怠ることがなく、信仰と忍耐とをもって約束のものを受け継ぐ人々に見習う者となるように、と願ってやまない。」                       ヘブル6章11~12節 
「イエスをキリスト」と告白し続ける魂を、主は生かし守り祝福して下さる。アモス書の14章では「わたしは彼らのそむきをいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからである。」(4節)と語り、「悔い改める魂」をどこまでもどこまでも篤く取り扱ってくださいます。「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。」(詩119:105)はよく知られたみ言葉ですが、それは、109節の「わたしのいのちは常に危険にさらされています。しかし、わたしはあなたのおきてを忘れません。」でわかるように誘惑者に命がけで立ち向かう魂の神を慕い従っていこうとする決意の叫びなのです。
たとえ罪の誘惑に負け、躓いたとしても、主なる神に悔い改めて近づくなら(ヘブル4:16)、神さまはその悔いた砕けた魂を決して軽んじられないのです。(詩51:17)ただ、「ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。」(IIペテロ3:9)主に背信する者は、ヘブル6章にあるとおり、「神の良きみ言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちが、そののち堕落した場合には、またもや神の御子を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改めにたち帰ることは不可能である。」(5、6節)ことを忘れてはならない。