Monday, November 22, 2010

練達した働き人

「あなたは真理の言葉を正しく教え、恥じるところのない錬達した働き人になって、神に自分をささげるように努めはげみなさい。」  
                   IIテモテ2章15節
  
 クリスチャンは聖書から教えられた救いの教えを、自らの生活のすべてを通して、周りの人々に「このことは私に事実でs
した」と証しをすることを喜びとしています。それはちょうどルカ伝19章の譬話にある「迷子の1匹のこ羊を見つけ出した飼い主」のようです。彼は残りの羊を安全のところにおいて、いなくなった1匹を探しに行きます。たとえどんな困難があろうともどんな危険が待ち構えていたとしても。そしてやっとの思いで見つけ出した羊飼いは、「わたしと一緒に喜んでくれ、いなくなっていた羊を見つけたから」と探し出せた小さな1匹の羊の命を喜ぶのです。イエスさまのお心は当(まさ)にこの羊飼いです。私たちは、その喜びを受けて、私も私の知り合いも、観客のウェーブが客席席を一周するように、喜びが次々に伝播することを願って、波の渦となってウェーブに加わっていきます。「キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである。」(ピリピ3:9)のです。み言葉を人々に伝えるのは、主がすべきと勧められたから行うのではなく、かえって、自身の学びを通しての成長が期待できるので、自分自身のために行うといっても過言ではないのです。「練達した」というのは努力してなれるという意味を持っています。包丁さばきに練達するために繰り返し使ってみる事に通じています