Tuesday, January 18, 2011

犯人探し

「弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」」          ヨハネ9章2節
 普段の生活の中でしばしば起こることですが、「犯人探し」をよくしてしまいます。こうなったのは誰々のせいだという風にです。確かに「因果応報」的な出来事もあるのですが、自分の失敗やうまくいかない原因を身近な誰かの責任にしてしまうのです。その時は怒りの感情を収める身勝手な方法とは思わず、正にその人が悪いと指摘できると思っていますが、暫く経つと、そうではなかったかなと考えてしまうこともあるものです。何より問題なのは、自身の中に相手の感情を考えたり思いやったりすることが出来ていないのではないかという、不安な気持ちにに追い込まれてしまうことがあるのです。性格的に強い人はそれでも「まあ、いいか」とその場を去ることで済ませてしまうかもしれませんが、その事が自身の責任感のなさや自信喪失の原因となり、持てる才能や良い性質までも十分発揮できなくなってしまうケースも少なくないのです。大げさに言えば、それが原因で、精神的な病いにまで至る事もあるのです。しかし主は、ある盲人の目が不自由である理由を、「ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。」(9:3)と言われたのです。イエスさまは、原因追求より目的を強調されたのです。
そしてそれは、私たちが忘れてはならない大切な視点の転換です。何時でもどんな時にも、主を見上げて、主を第一にして歩む生き方を選択できる者でありたいものです。