Saturday, February 19, 2011

キリストの使者

「神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。神がわたしたちをとおして勧めをなさるのであるから、わたしたちはキリストの使者なのである。」  IIコリント5:19-20
 20節の「キリストの使者」という言葉は、大使という意味を持つ動詞です。ですから、主が私たちにゆだねられた「和解の福音」である聖書を伝え続けると同時に、その人自身が「聖書」となって作用し続けなくてはならないのです。まさに私たちは「歩く聖書」「生活している聖書」となって人々の前で生活を通して証しし続ける存在であるということなのです。
「生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。」(v15)とパウロは、クリスチャン(=自身の人間的な生き方を主に明け渡して、神さまの子供とされて主に生かされる人生を選択した人々)に対してそう願い期待されるのです。「イスラエルの救はわれわれの神、主にある」(エレミヤ3:23)と言うことを「あなたはみずから慎み、またあなた自身をよく守りなさい。そして目に見たことを忘れず、生きながらえている間、それらの事をあなたの心から離してはならない。またそれらのことを、あなたの子孫に知らせなければならない。」(申命記4:9)
のです。霊的なイスラエル人として、各地に出て行き、聖書の信実を喜びをもって生きた証しをもって語り伝え続けてまいりましょう。