Tuesday, February 22, 2011

大胆に語る

「それにもかかわらず、ふたりは長い期間をそこで過ごして、大胆に主のことを語った。主は、彼らの手によってしるしと奇跡とを行わせ、そのめぐみの言葉をあかしされた。」 使徒行伝14章3節
 福音宣教の祝福は、2倍の喜びを味あわせていただける、主からの大きなめぐみの経験です。聞き手も語り手も。
 パウロは、聖霊なる主イエスキリストとの出会いを通して明確な救いと召命を与えられ(参照:使徒行伝9章)、アラビヤの荒野(参照:ガラテヤ1:17)で主との個人的な交わりの後に、バルナバの捜索によりタルソからアンテオケに連れ帰られました。このことは、パウロにとって想像もできなかったことです。かつて主の働きに着くべきと主に示されて(参照:使徒9:15)エルサレムに行ったときは、それまでのサウロとしての行状のために、ユダヤ人達に命を狙われていた同じパウロがエルサレムの働きの拡大の担い手としてバルナバに請われてアンテオケに行くことになたのです。これまでの伝道の中心地エルサレムから異邦人(=ユダヤ人以外の人々)伝道の宣教の窓口であるアンテオケを主は備え、そこで新しい伝道チームは1年の準備の後に第1回伝道旅行へと出発するのです。伝道に困難は付き物のようで、キリストが主であることを認めず律法こそ守るべきものと主張するユダヤ人たちの迫害から逃れることがそのまま宣教の門を次々にに開くことになっていくのです。主はこうした困難の中になおも信じる者たちを備え興して下さるのです。「大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられること。」(ピリ1:20)