Tuesday, February 8, 2011

よい業を完成される主

「あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。]
                   ピリピ1章6節
 創造者の神さまは、わたしたちを「神さまと向き合う性質を備えた者」として、創造してくださったのです。しかし生まれながらの私たちは、自己中心的な生き方しか出来ず、自己の欲望を満足させるためだけにしか「神さま」を求めようとはしてこなかったのです。しかし一方的な神さまの側からの憐みによって、「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。」(Iヨハネ3:16)と示されているように、私たちが先に愛に気づいたのではなく、主イエスさまが十字架の上で私たちの罪の身代わりとなって死んでくださったので「愛」を概念的にも具体的にも知るようになったのです。Iヨハネのなかで「知る」と書かれている言葉は、具体的にわかることを含んで「知る」事を表しています。この理解は、瞬間的というよりは、少し長い時間をその問題を突き詰めて考えていくうちに実感したり会得したりするというような状況で解かってくるという事が出来るでしょう。それは聖書の中で「霊的な成長」とか、「深く知る」と示されている事柄のようです。「その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、」(エペソ3:18)とパウロが記しています。終わりのとき、信仰が試され、その完成度が計られるようです。「忠実な僕よ、よくやった。私(主人)と一歩に喜んでくれ」という、主のお言葉を確認する者となりたいものです。