Monday, March 14, 2011

証する機会

「それは、あなたがたがあかしをする機会となるであろう。だから、どう答弁しようかと、前もって考えておかないことに心を決めなさい。
あなたの反対者のだれもが抗弁も否定もできないような言葉と知恵とを、わたしが授けるから。」     ルカ21章13~15節
 私達は、主に救い出された者としてそれを喜びをもって証しする大きな責任と任務があります。「わたしが福音を宣べ伝えても、それは誇にはならない。なぜなら、わたしは、そうせずにはおれないからである。もし福音を宣べ伝えないなら、わたしはわざわいである」(Iコリント9:16)とパウロが証言するように、『証しない私は災い』とまで大胆に語るのです。共観福音書であるマタイによる福音書は「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」(マタイ24:12~13)と、証しに伴う大きな祝福が主から与えられることを証言しているのです。この救われるという言葉は、その時救いが与えられるというよりも、救いが完成するという方が主の言われた意味に近いのです。そして証ししなくてはならない状況が差し迫っているというのです。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに地震があり、またききんが起るであろう。これらは産みの苦しみの初めである。」(マルコ13:8~9)こうした状況を見て、「終りは近い」と実感して、主の業に誠心誠意励む者となりましょう。この時のために主は私たちを訓練し、良き働き人として用いようとされるのです。積極的に証しすることで、主に敵対するものに負けないでいる姿を。(ピリピ1:28、IIテサ1:5)