Tuesday, May 24, 2011

誰が届けますか?

「しかし、信じたことのない者を、どうして呼び求めることがあろうか。聞いたことのない者を、どうして信じることがあろうか。宣べ伝える者がいなくては、どうして聞くことがあろうか。つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。」     ローマ10章15~16節
 「信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。」(ローマ10:17)聖書のみ言葉を聞いて悔い改め、「イエスをキリスト」と信じ受け入れて、人は救われます。「私は神さまを愛しています」というのは意思の表現ですが、救いの告白ではありません。イエスの前に自身が罪人であることを自覚し、そのままでは救いに至ることが出来ないことが聖書に示されていることをそのまま認め、その罪を悔い改め、赦しを神さまに請い求め、罪赦されたと確信するとき、私達はあたらし生命を頂いて、神さまが望まれるように生きていくことを通して、救われたものの喜びの生活が可能となるのです。「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。」(IIコリント5:17)と告白しうるのです。ここから、新しい信仰生活が始まるのです。この生き方が、「この土台はイエス・キリストである。」(Iコリント3:11)と言い得るクリスチャンの生き方なのです。少し似ている行き方でも、それに真似て生きていこうという姿勢も清い神さまの勧めではありません。そのまま全てをみ言葉の通りに実践してこそ、あなたは、主の弟子、神の子供、主の足跡を辿る者にふさわしい「クリアカット」の生き方を選択したと言えるのです。