Sunday, May 29, 2011

わいろ

「 あなたはさばきを曲げてはならない。人をかたより見てはならない。また賄賂を取ってはならない。賄賂は賢い者の目をくらまし、正しい者の事件を曲げるからである。ただ公義をのみ求めなければならない。そうすればあなたは生きながらえて、あなたの神、主が賜わる地を所有するにいたるであろう。」  申命記16章19~20節
 出エジプト記や申命記に「賄賂」という言葉が出てきます。神の言葉である聖書の中にどうして出てくるのだろうと思われる兄姉もいらっしゃる事でしょう。聖書が「清い言葉」の本という意味以上に、実は、神さまが「良いもの」として創られ、神さまの助け手として働くことを期待されていた「人間」のありのままの姿、罪人の姿を記されているから、人間の醜さ、酷さ、弱さが記録されているのです。「あなたは賄賂を取ってはならない。賄賂は人の目をくらまし、正しい者の事件をも曲げさせるからである。」(出エジプト23:8)とあり、イスラエルの契約の民に証しと警告を語っている申命記の教えに繋がる事と考えられます。賄賂はあえて定義すれば、互いの利益に誘導しようとする「えこひいき」であって、不正義となります。公正公平で在られる神さまの前に正義であるとは言えないのです。
キリスト者の自由は、「弱い者を悲しませない」配慮が求められています。社会的にも人道的にも弱者に寄り添った目線にかなった言葉や行動が求められます。賄賂は金銭に止まらず、えこひいきする言葉にも及ぶのです。「わたしの心をあなたのあかしに傾けさせ、不正な利得に傾けさせないでください。」(詩篇119:36)弱さを知りみ言葉でガードしましょう。