Monday, June 20, 2011

主によって創られた平和

「 その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。」     コロサイ1章20節
 「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」(マタイ5:9)に見られる平和をつくり出す人という表現は、コロサイ書の1:20の平和をつくりという表現と新約聖書に2箇所しか出てこないギリシャ語の単語を使っています。語尾変化の違いから前者は「peacemaker」という言葉になり後者は「peacemaking」という言葉になっています。特に後者は、今日まで平和を作り出し続けているという意味を含めて進行形が使われているようです。ですからこのみ言葉は、ある時代にイエスさまが平和を作り出したことがあるという過去の歴史を表現しているのではなく、一度十字架にかかられたことによって今日まで平和が保たれており、そしてそれは神さまのご支配が続く限り、イエスさまの力が救いのみわざとして私たちにもたらされるということを意味しているのです。(参照ヘブル9:29)イエスさまが十字架にかかられたのは、十字架刑に相当する罪を犯したのではなく、私たちの罪が十字架刑以上に余りにひどいために、神さまの愛のみ業が十字架に独子を処刑する程になったと言っても過言ではないのです。ヨハネは3:16で、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。」と記して、私たちが罪のまま滅びることがないように、救いの道を整えていて下さったことを記録しています。憐れみに富む神さまの招きに素直に応答しましょう。