Thursday, July 21, 2011

十字架の言葉

「十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。すなわち、聖書に、「わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする」と書いてある。 知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。」Iコリント1章18~21節
 「十字架の救い」は真実です。歴史的な事実として、ゴルゴダの丘で起こりました。ローマの裁判長が、兵隊達が、そして主イエスさまの弟子たちが何人も目撃していいます。今、大切なことは、その事実を諸事実があったとおり記録して管理していくことです。現在を生きるクリスチャンたちは、紀元30年ころに起こった事実をそのまま信じ受け入れ、その意味を、孫子の時代までそのままお伝えすべきなのです。事実を曲げても意味を曲げてもいけません。そうしてしまえばイエスさまの存在もその意味も消えてしまうのです。あなたが誕生した背後に、あなたの誕生を望み主に願ってかなえられた主にある両親がいたという事実は他の何者にも代えられないことなのです。
また、変えてしまえば、その事実は、もう事実として価値を失ってしまうのです。18節の「滅び行くものには愚かであるが、救いに預かる私たちには神の力である」という部分は、その事実があったときから今日までの信じる人の証となるのです
この証の部分を生きている私達におゆだね下さっているのです