Monday, September 19, 2011

嗣業の地

「主はわたしの嗣業、またわたしの杯にうくべきもの。あなたはわたしの分け前を守られる。 測りなわは、わたしのために好ましい所に落ちた。まことにわたしは良い嗣業を得た。」  詩篇16篇5~6節
 嗣業とは、譲られる地所をさしています。イスラエル人は民26:53以下を見ると土地の分割を受けるのですが、レビ人は相続地を与えられる事はなくて、主ご自身が分け前であると考えられたのです。(18:20以下)。この詩篇では、「イエスをキリスト」と告白する信仰者も地上的な分け前を受けるのではなく、「主ご自身」を永遠の分け前として与えられているというのです。主が分け前であるなら、凶作や不作もないのです。杯とは人生を意味しますから、主が共におられ、私たちの人生を直接導かれるのというのです。(参照23篇)
 6節の「測り綱」とは土地の分割の測量に用いられるものです。主からの恵みは間違いなく、正確に分け与えられるというのです。それは神さまの愛と赦しが明確に示され、主のあわれみと救いのなかに入れられ、主との親しい交わりの中で生活する保障をいただいているというのです。
「測り縄が私のために真に好ましいところに落ちた」とは、神さまのご支配とお導きの中で、「イエスを私の神さまと告白できる所に生活することが導き許された」そしてそれは、本当に私にとってすばらしいことだったと、主の大きなお働きを心から讃美しているのです。私が信仰をいただいたのは私の働きの結果なのでしょうか。いいえ、主が直接私の人生に介入して下さって、語りかけて下さったのです。ハレルヤ