Monday, October 24, 2011

十字架の愛

神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが、それは、わたしたちのわざによるのではなく、神ご自身の計画に基き、また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜わっていた恵み、そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである。IIテモ1:9-10
 
  初めて教会に出かけた時のことを覚えていますか。きっかけとなった事は各人各様と思いますが、共通する不安は「聖書は正しいのか」と言う事ではなかったでしょうか。私自身は、最初にバプテスト教会を紹介され、そこが聖書だけを信じる教会でしたので、その後の混乱はありませんでしたが、聖書的でない教会に出席した為に、何が聖書的であるかが解かるまでに違った聖書知識を受け入れてしまってご苦労された方が少なくないのです。そしてそれが原因で、真理探究をあきらめ悲しい思いで教会を去っている方も多いのです。正しい教理、正しい聖書理解はどこから来るのでしょうか。聖書を字義通り読み、解釈することです。聖書理解で大切な事は、聖書に書いてない事を勝手に解釈しないで、旧新約66巻だけを、完全で最後的な神さまが与えてくださった唯一のものと受け留める事です。ですから、聖書的な信仰者の訳した聖書を保持することは大切なことで、どの国でも、聖書翻訳に関する戦いの歴史は命がけなのです。「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。」(3:16-17)クリスチャンは神さまから大使として選ばれた者(IIコリント5:20)として、お言葉を携えて、全世界に出て行き、正しく真理を語る責任があります。