Monday, November 14, 2011

明らかになる信仰

「おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。だから、あなたがたが暗やみで言ったことは、なんでもみな明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上で言いひろめられるであろう。」        ルカによる福音書12章2~3節
 
 「隠されているもので露わにならないものはない」と記されています。この背景にあるのは、イザヤ29:15の「だれがわれわれを見るか、だれがわれわれのことを知るか」ではないでしょうか。これは私たちの罪の性質です。重ねてイザヤに、偶像礼拝の者の目は見えず、悟る事もないので、本当の喜びを味わえないというのです(イザヤ44:18.9)。ところが主なる神は「わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。」(エレミヤ33:3)とおっしゃってくださり、すべてをご存知で、正確に順序正しく教えてくださるのです。主にある私たちは、隠れたところもすべてご覧になっている主なる神さまに対して、かえって隠れたところをお示しするように、心を開いて祈りにおいてもまた証においてもなすべきです。(参照マタイ6:6)主に知られている者のために、主はすべてを整え備えて下さっています。11-12節の「何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、聖霊がその時に教えてくださるからである。」とはっきり約束してくださっているのです。普段の準備は必要です。日ごろから、主との交わり主への感謝そして主への祈りの時を大切に致しましょう。