Monday, January 9, 2012

霊的な礼拝

「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。」                 ローマ12章1節
 
 パウロは12章で、信仰の基礎に続いて、キリスト者の生活について語ります。罪人は信仰によってのみ神の前に義とされるのであって、律法の行いによって義とされるのではありません。教理の基礎の上に健全な倫理が構築され、「信仰によって」「恩恵によって」とパウロが主張する奥義を主から味あわせていただけるのです。 信仰生活は神のあわれみに対する応答であり、自発的な神さまへの積極的な行動を期待して、命令ではなく願うと記されたのです。そしてそのために、私たち自身の体を、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさいと、勧められるのです。旧約の儀式律法に定められた動物犠牲に傷ついたものは許されなかった(レビ22:17‐25)ように、キリスト者は,キリストにあって罪赦され、聖別され、神に受け入れられる供え物として、自分の体をささげなければならないのです。体をささげることは、全人的に自分をささげることです。これが、霊的な礼拝なのです。霊的なとは、原語で「理性的」「理にかなった」と言う意味であり、礼拝が奉仕という意味を持っていることを考えるなら、主に仕えるのに全身全霊を持って主の前に奉仕することが、主に喜ばれる礼拝であることが確認できるのです。だから、2節の勧めの「何が神の御旨、何が善で神に喜ばれ、全きこと」があるのです。