Sunday, February 26, 2012

神の僕の死

「 こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。・・・ モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった。」     申命記34章5,7節
 「私が死んだら」と、お考えになられた事がありますか。交通事故、犯罪被害者、悪質な感染症等々、私達の身の回りには、死に直面する状況があふれています。しかもその割合が年々高くなっているのです。
聖書は、単にこの地上生活との別れだけではなく、霊的な死即ち神さまから永遠に離される事を「第二の死」として予告しているのです。(ヨハネ6:51)主イエスに従い、歩み続ける者だけを新しい生命に迎え、神の供えられる平安の内に、いつまでも主と共に歩むことができるのです。主にあるものにだけ許し与えられる住まいこそが、天国、新しいエルサレムなのです。救い主イエスキリストの招きを拒んだままでこの地上の生活の終わりを迎えてしまった人のために備えられている所が、地獄なのです。(ルカ16章)。人は皆信仰によって、イエスがキリスト(=救い主)である事を知り、受け入れます。主なる神さまは、人が悔い改めて神のところに戻っていくことを、ある時まで待っていてくださると教えられました。その時が、「終わりの時」なのです。
また、キリスト者は身近な人々への証のために、教会式の葬儀をする準備をしてまいりましょう。その理由の第一は、聖書的な魂の扱い方をもって葬儀をする必要があるからです。主の導きをいただいた葬儀の時を経て天への凱旋を。