Tuesday, March 20, 2012

主に全く委ねる

「あなたと共におる民はあまりに多い。ゆえにわたしは彼らの手にミデアンびとをわたさない。おそらくイスラエルはわたしに向かってみずから誇り、『わたしは自身の手で自分を救ったのだ』と言うであろう。」  士師記7章2節
 創造主である神さまは、私たち人間を元めは「良いもの」として創造されました。神さまから与えられた「自由」を、神さまの喜ぶ方向で用いず自身の喜ぶ方向に用いたため、人は生まれながらに罪の性質を背負って生まれてくることになり、「神さまの救い」が必要となったのです。生活のすべての分野で神さまの御心を尋ね、御心にかなった事を行えている時は主の祝福を実感でき、御心に従わない時は喜べないばかりか苦しみや困難の中に置かれたのでした。「主こそ神であることを知れ。われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である。」(詩篇100:3)「若い者よ、あなたの若い時に楽しめ。あなたの若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心の道に歩み、あなたの目の見るところに歩め。ただし、そのすべての事のために、神はあなたをさばかれることを知れ。」(伝道の書11:9)主の目は狂うことなく正確に私たちを判断し、裁かれます。士師記7章のギデオンの出来事で神さまは、たとえ主の民であっても御言葉に従えないならそこに勝利がないことをはっきりと示しておられます。
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」(詩篇46:10)と主は宣言しておられるのです。