Monday, July 2, 2012

キリストが基

「キリストを基として、全身はすべての節々の助けにより、しっかりと組み合わされ結び合わされ、それぞれの部分は分に応じて働き、からだを成長させ、愛のうちに育てられていくのである。」  エペソ4:16
 「キリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、 そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと」(Iコリント15:3-4)これが、パウロが福音について最も強調したく願った事です。このことの背後の預言として、イザヤ53章、ホセア6章を挙げることができます。キリストを頭とする教会は、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と告白したペテロと同様に、私たちの「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と告白するその告白が集約されて形成されていなくてはならないのです。他の目的が教会形成の目的であってはなりません。私たちはキリストの体の一部分(エペソ5:30)ですから、神さまのプログラムである礼拝が第一優先となるわけです。(参:イザヤ58:13-14)
へブル10章23-25節の勧めも私たちに力となるに違いうありません。キリスト者の基本的な態度は、IIコリント5:17にある「キリストにあって新しく造られた者」であり、「神さまのもの」とされたのです。ですから、「あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。」(Iコリント6:20)に沿って、神さまの栄光を礼拝という手段によって顕わしているのです。キリスト信仰は、神さまと私という関係のの構築であって、その生活態度は、感謝=祈り=喜びのトライアングルです。