Thursday, July 19, 2012

イエスこそ誇り

「しかし、・・・わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。」  ガラテヤ6章14節
 私たちが頂いている救いとは、「わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強くいだいている。 キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。」(ガラテヤ5:5-6)の御言葉に立っている。(参照:ロマ10:9-10)これ以外に救いはないのです。確かに「救い」という時、「~からの救い」と考えます。寂しさから、痛みから、苦しみから、等々が思い浮かびますが、その根本は、イエスキリストによる罪からの救いなのです。これを称して、滅びからの解放、罪からの自由と言うことがあるのです。救いはただ一つだけです。(エペソ4:4-6)この救いが、神さまからの一方的な恵みとして一人一人クリスチャンに与えられたと受け止めることこそ、正しい受け止め方であると言えます。(参照:ヨハネ15:16、Iヨハネ4:10,19)そして教会は、地方地方にある、キリストを中心とする家庭なのです。私たちはこの家庭を単位として、生活し世に対して働きかけ続ける活動体(=有機体)でなくてはならないのです。(黙示録3:4)言葉だけの人にならず、きちんとしたキリストにある行いの人、有言実行するものであり続けましょう。私たちの立つ位置は、信じたその日に確定し、不変の証しをもって人々に伝えられていかなくてはならないのです。