Tuesday, August 21, 2012

生きた信仰の実践

「ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。」 
   ヤコブ2章14節
 「行いが信仰を生むのか信仰が行いを生むのか」 何かの問答ではありません。信仰者の心の問いです。
信仰によって導かれる行いは、その主にある人の善行であって、信仰が実っている確かな証なのです。
「イエスをキリストと信じます」という告白が本物であるか否かは、その後にどのような生活態度が見られるか、その後どのように生活が変わったかによって判断できるとさえいうことができるのではないでしょうか。「言うは安し、行うは難し」です。アブラハムの神さまとの出会いは衝撃的でした。両親や親族こそ、私たちが一番頼りにする血縁です。その血縁を離れ、無謀とも思える勧めをした神さまを信頼しなさいというのです。つまり、この世との繋がりを一切断って、神さまにだけ頼るものとなりなさいというのでした。この勧めの背後に約束されたことは、「あなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。」(創世記12章2節)このチャレンジに成功したアブラハムにさらなる試練と思われるさらにハードルの高いチャレンジが待っていたのです。「あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」(22:2)こればかりはとここで主の勧めを拒むのでしょうか。それとも、主に従う道を選択するのでしょうか。そこに信仰が働くのです。どこまでもお従いする者に成長しましょう