Wednesday, October 24, 2012

マルタの信仰告白

「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」ヨハネ11章25-26節
 
 上記の聖句は、イエスさまの、病で死んだラザロを4日目に甦らせた時のお言葉です。またこの出来事は、イエスさまにとっては、神さまが復活という特別の御力をもっておられるという事の予表です。命を与えるために来られ、そのために命を投げ出されて後、再びその命を得る神さまの栄光の業の伏線なのです。ユダヤ宗教界の指導者達にとっては、イエスさまをこれ以上生かしてはおけないという意志の統一が図られた時でもあるのです。そして、目の不自由な人の癒しの出来事(ヨハネ9:3)とともに、「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのもの」(11:4)なのです。ではなぜ、イエスさまは愛するラザロの死を知ってから直ちに行動されなかったのでしょうか。何と死の4日後になってしまったのです。しかし主は、「わたしがそこにいあわせなかったことを、あなたがたのために喜ぶ。それは、あなたがたが信じるようになるためである。」(v14-15)そうです。主なる神さまが祝福されるベストの時があること、そしてそれは、「見ないで信ずる者は、さいわいである」(20;29)と教えられたお心に沿っているのです。私たちは、主が私の前に展開してくださる御業を期待し、その時まで待つことを通して、正しい信仰者として忠実に主の救いを後世の人々に伝える、御言葉の大使という大役を果たすのです。