Tuesday, October 9, 2012

信仰的対応

「 すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である」。マタイ16章17節
 
 クリスチャン生活は、信仰を持たれてすぐは、まるで二重生活のような混乱の中に自身を置いているのではと感じられることがあると思います。それは無理もないことです。イエスさまははっきりと、世にあるものと神のものを分けなさいと教えて下さっています。(参照:種播きの譬マタイ13章、誘惑18章、世との妥協ローマ12章、世を愛するIヨハネ2章)特に、ヨハネは、「 世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。 世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる」(Iヨハネ2:15-17)キリスト者は、どんな状態の時でも「主イエスさまを第一にする」思考回路が働くはずなのです。それが祝福を受ける秘訣でもあります。主に従順にお従いするということは、主のお語り下さったお言葉を第一にし、それをそのまま私の生活の中心の原動力として進めることなのですから。良い証しを立てるということは、主にあって勝利している生活の一面をそのまま自身の言葉や態度で表すことです。証しは、言いわけでもこれから守る約束の表現でもありません。信仰の決心は、一時の迷いからなされるものではなく、真剣に主イエスさまと対峙し、イエスさまの教えに従って新しく生きている決心をして、祝福を受けて進むものです。