Sunday, May 26, 2013

信仰の導き手

「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。」
        へブル人への手紙12章2節
 へブル12章1節に「こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれている・・・」と示されています。こうゆうわけでとは、11章の、信仰によって行動した旧約時代の人々の歩みを指していると理解できます。供え物が受け入れられたアベル、信仰が喜ばれたエノク、怖れ畏みつつ信仰による義を受け継ぐ者となったノア、そして神さまとの契約を結んだアブラハム。イサク、ヤコブ、ヨセフ。ノア、ヨシュア。士師達。さらに、信仰の模範となって、神さまの良き働き手となった信仰の偉人達。これらの人々に共通することは、「御言葉に従順であった」「神さまに全幅の信頼を置いて希望を捨てなかった」事ではないでしょうか。長い時代の折々に、神の僕と呼ばれた信仰の人々が、本来の安住の地ではない地であっても、主の支えによって、平安に、守られて歩む術を教えられて従い続けてきた実績を、つぶさに見せて下さっているのです。この良い模範を引き継いで、私たちも、次世代に私たちの主に従った模範を、残していかなくてはなりません。信仰の歴史が、次世代の人たちに安心安寧をもたらすのです。コロサイ3章の「あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。」(V2)とのチャレンジは、神の賜物を求め、主と憩うという天を思うことです