Saturday, August 24, 2013

御言葉の確かさ

「心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。」   へブル10章22節
 「イエスがキリスト」と告白できるあなたは、クリスチャンと呼ばれます。この告白は、「あなたこそ生ける神の子キリストです」と告白したペテロに通じます。そしてこの告白は、理性をもって聖書理解を正しくし、日々の生活のすべてをもった信仰生活を体験して、初めて可能となる告白なのです。この告白には、私たちの生き方において大切な意味と重い責任が伴います。ですから信仰告白をしたキリスト者は、その信仰生活を守る事と主に対する誠実さをもって、地方の教会に所属して家族として助け合いながら信仰生活を守るのです。その入り口となる信仰の儀式が、バプテスマということです。使徒行伝8章でピリポがエチオピア人求道者に応えて、「真心から信じ受けるなら、バプテスマを受けて差し支えありません」と応答したことは、真実で正しい応答です。「御言葉には魂を救う力がある」(ヤコブ1:21)のです。どんな困難にも耐える得る「道」(Iコリント10:13)も備えられ、日々「足の灯」「道の光」(詩119:105)として若い人が、清く真っ直ぐに人生を歩むことが出来るのです。ここに記されている「若い」という言葉は年齢だけでなく、未熟と神経験を意味しますので、全ての信仰者に適応する御言葉であるのです。「もしあなたがたが、キリストと共に死んで世のもろもろの霊力から離れたのなら、なぜ、なおこの世に生きているもののように、・・・規定に縛られているのか。」(コロサイ2:21-22)霊の自由を正しい表現で。