Sunday, August 4, 2013

隣人となれ

「この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい。」ルカ10章36~37節
        
 ルカ10:25~37は、ルカ伝だけが記録している記事で、「良きサマリヤ人」と言われてる、イエスさまの譬え話です。
 イエスさまが地上の生活を送っておられたユダヤ社会の中では、律法学者、祭司と言われる人が神さまに関する働きについていたためか上流階級とみなされていました。また神殿や幕屋に仕えたレビ人も特別な存在として尊敬の対象でありました。
そうした時代背景の中で、イエスさまの存在や働きを疎んじていた人たちが、イエスさまに答えずらいと思われる質問をして困惑させようとしていたのです。
 このコラムの始まりと締めくくりを見ると、「隣人」という共通の言葉を見ることが出来ます。さらに、マタイ5章43節以下に、「『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」(v44-45)とありますから、いかに神さまがクリスチャン達に、「隣人となって、隣人に福音を語りなさい」と教えようとしておられるのが理解できます。オリゲネスが、エルサレムを天、エリコを世、強盗を悪魔、サマリヤ人をキリスト、宿屋を教会という具合に解釈した程に細密な描写に富み、この譬が29節の応答であるなら、その中心句は33節の「かわいそうに思う」という人の心から溢れる感情で、それは、十字架の愛を経験した者にのみ語り得ることの出来る証しではないでしょうか。