Monday, September 9, 2013

たとえそうでなくても

「たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」 
ダニエル3章18節 
 この頃、日本語の中にカタカナ言葉(=外国語をそのまま表記したもの)が増えてきて、まだ日本語として認知されていないような言葉も多々あるようです。その類の言葉の一つに、アイデンティティー(identity)という言葉があります。英語の辞書を引くと、本人である事、正体、身元という意味が最初に示され、次に、本質とか本性という意味が記されています。例として二重人格(double identity)や身分証明書(identity card)が示されていました。
私たちクリスチャンのアイデンティティーはと問われたら、皆さんはどう答えられますか。パウロは、コロサイ書で「神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。 互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。」(3:12-13)と教えています。即ち、キリストの品性を保ちキリスト・イエスに似た者、キリストの香りを放つ者(コリント)そして、どこまでも主の御心は通るということを確信して、世に対してたとえ王の言葉であっても、それに勝る力の現実を見せて下さる主により頼む者であり続けましょう。そこに、ダニエルと三人の友が信じて行動した証しがあるのです。「たとえそうでなくても」主が働いて下さる余地を信仰によって見出す、キリスト者に成長しましょう。