Thursday, September 19, 2013

イエスキリストを通して

「この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。」                  へブル1章2節 
 「神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、」(V.1)とへブル書著者は語りだします。預言者がおり、王や上級役人もおり、一般の市民生活の中で忠実の主に仕えていた市井の人々もおりました。新約時代に入って、いかにイエス・キリストが卓越した贖い主であり、贖いの完成者であるかを、旧約の教えを披歴しながら説教の様にへブル書は教えて下さるのです。今の私たちの救いの認識は、旧約時代の律法の完全実行によってではなく、神さまが一方的に下さる恵をそのまま受け入れるという信仰的な神への応答によってであることを、聖書はお教えます。神さまの独り子、イエス・キリストさまの十字架上の贖いの死によって、流された血潮によって与えられた浄めと赦しを頂いて、私たちは新しい命に復活したことを味わうことが出来ているのです。イエス・キリストこそ、狭い門(マタイ7:13-14)なのです。そして、「命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」(7:15)と語られるのです。その細い道は、イエスキリストという門を通ることで、神さまの用意して下さっている祝福と喜びの道へ通じるのです。「わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。・・・わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。」(ヨハネ10:9-10)私たちに明確にご自身をお見せ下さる主に感謝します。