Thursday, October 24, 2013

警告

「人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない。」 Iテサロニケ5章3節 
 「これはあなたが子や孫と共に、あなたの生きながらえる日の間、つねにあなたの神、主を恐れて、わたしが命じるもろもろの定めと、命令とを守らせるため、またあなたが長く命を保つことのできるためである」(申命記6:2)「もしわれわれが、命じられたとおりに、このすべての命令をわれわれの神、主の前に守って行うならば、それはわれわれの義となるであろう」
(6:25)この申命記の御言葉が語るように、御心のままに生活し証しする者にとっての大切な心得であって、現代の私たちクリスチャンにも通じるものであると信じます。キリスト者にとって幸いな事は、自分の思い通りの道に進んでいると実感することではなく、「主は岩であって、そのみわざは全く、その道はみな正しい。主は真実なる神であって、偽りなく、義であって、正である。」(32:4)と言われる主なる神さまの前にふさわしい生き方と確認できる「御心」を行うことが神さまの義なのです。これらの旧約の時代から続く教えを受けてパウロは、「信仰と愛との胸当を身につけ、救の望みのかぶとをかぶって、慎んでいよう。」(Iテサ5:8)と勧めるのです。エステル記の出来事の中にも、妃に選ばれて異邦人世界で証しすることになった姪のエステルに対して叔父であるモルデカイは、「あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知りましょう」(4:14)と、証しのチャンスを逃さず、勇気をもってその時に証しする決断を促すのです。