Sunday, November 17, 2013

神の惠によって

「すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。」ローマ3章23ー24
 私たちが救われたのは、神さまの一方的な恵みによったのであり、人の側からの働きや交渉によったのではありません。
神さまの恵みを受け止めることができたのは、信仰という受け皿で、これが働いたのも神さまの恵みであったと言う他ありません。それほどに罪の性質を持った私たちは、神様の働きを気付き悟ることが出来なくなっていたのです。私たちの心がこうゆう風になれば良いのだがという望みや夢を持つことはあっても、その実現に至るためには、回りへの配慮や、自信のなさや自分を取り巻く環境がその時でないのではと、躊躇してしまったりして、結局は挫折を経験してしまうことが多いのです。そして失敗をすればするほど、次への力が足らないように思われてくるのです。しかし、マルコ5:25-には、12年も病に苦しむ女性が最後の手段とも思える無謀さでイエスさまの後ろから近づき、イエスさまの服の裾に触って癒された記事が記録されています。その記事の最後に「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」(V35)と、娘の信仰をほめ、励まして下さっているのです。私たちも少しの勇気を発揮して、神さまであるイエスさまに、今の自分自身の全てをお委ねしてみませんか。単なる信頼を置くというのではなく、人生をお任せするのです。そこに、新しい神さまとの正しい関係が成立し、民の親と神の子という新しい力新しい生き方を、主から頂くことができるのです。「だれでもキリストにある者は、すべてが新しくなった」