Thursday, December 19, 2013

主の憐れみ

「しかしわたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し そして わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである。」Iテモテ1章16節
パウロの生涯は、主の憐れみを味わった素晴らしいものであったと思います。であればこそ、彼の名を冠した書簡の中で、「私に習う者となって欲しい」(Iコリント4]16.11:1ほか)
と何度も繰り返すのです。もちろんこれはパウロが、主イエスキリストに習い従った(IIテサロニケ3:9,ヘブル6:12)ゆえに頂いた生きた知恵なのです。ピリピ2:5の「汝らキリスト・イエスの心を心とせよ」の実践なのです。主の憐れみの内容というのは、「私に対して限りない寛容を示してくださった(16)ことで、神に従わなかった私たちの不従順の罪は私たち自身の命で償わなければならなかったところを、神さまは憐れんで下さり、ご自身の一人子の命をもって買い取ってくださったのです。それが十字架の上で流された血潮なのです。それがわたしたちが「主の救い」と叫んでいる、罪の許しのみ業なのです。
神さまは、彼自身を捉え、律法に縛られ拘束されたところからキリストの秩序に整え変えて、心から自由にされて、イエスのキリストであることを告白し述べ伝える異邦人への働き手と、
変えられたのです。彼の中にあった、神を謗り、迫害した不遜な罪を不信仰と無知であったことによってなされたものであると限りない寛容と忍耐で赦してくださったと確信したのです。「キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来てくださった」ということを彼自身が身をもって証明して真実であることを言い表したのです。キリストを信じる模範となるために。