Saturday, February 15, 2014

砕いた骨を喜ばせてください

「神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。」     詩篇51篇10節
 サムエル記下11章記事は、歴史的な記録であるとともに、クリスチャンが罪を犯した時に、その処理の仕方いかんによってその人の人生だけでなく、大げさに言えば世の歴史までも動かしかねない大きな出来事であることを語っています。
 ユダヤにとって敵対していた、ペリして人を撃ち、モアブを撃って、アンモンを攻撃している最中、これまでは困難な時ほど彼が先頭に戦っていたダビデが、春のある日、戦いに行くことなく城にいて、「さて、ある日の夕暮、ダビデは床から起き出て、王の家の屋上を歩いていたが、屋上から、ひとりの女がからだを洗っているのを見た。その女は非常に美しかった。 」(V.2)というのです。連戦連勝の余裕か、力の誇示か。前王サウルの関わりのものを丁寧に探し、熱く遇している心の隙であったのでしょう。一人の女の清めの姿(V4)に心奪われてしまうのです。バテシバの妊娠を知るや、隊長ヨアブに夫ウリヤを戦場から王の前に戻させ、褒美として休息を与えようとします。ウリヤがその策に乗らないと知るや、戦場で敵の攻撃を受けさせる指令書まで作って、身勝手なもみ消しを実行したのです。この出来事を主なる神は見過ごしにせず、若い預言者ナタンを遣わすのです。IIサムエル12章、詩篇51篇を見ると、神さまの御心と取り扱いを見ることが出来ます。真実に誠実に神ご自身の前に悔い改める事こそ肝要です。「骨を砕いて」新たになることが求められるのです。これに順応するくい砕けた魂こそが、神さまの御心にかなう唯一の、姿勢です。