Saturday, May 10, 2014

パウロの確信

「わたしはこのような苦しみを受けているが、それを恥としない。なぜなら、わたしは自分の信じてきたかたを知っており、またそのかたは、わたしにゆだねられているものを、かの日に至るまで守って下さることができると、確信しているからである。」  IIテモテ1章12節
 パウロが信仰を持った時は、おそらく彼の肉の人生の絶頂期ということができると思います。使徒行伝に3度も回心の証が記録されており、中でも、肉の生活について、「わたしはキリキヤのタルソで生れたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、きびしい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた。このことは、大祭司も長老たち一同も、証明するところである」(使徒22:2-5)また、「わたしは八日目に割礼を受けた者、イスラエルの民族に属する者、ベニヤミン族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法の上ではパリサイ人、熱心の点では教会の迫害者、律法の義については落ち度のない者である。」(ピリピ3:5-6)と。このパウロが、「イエスがキリストである」と正しい信仰に立ったのです。これは、主の霊の導きの中でなされた業であり、明確な信仰告白なのです。そして彼は直ちに御霊に導かれて、異邦人に「イエスはキリストである」ことを語る者となり、教会を建て上げていったのです。マタイ28章の大命令の実践者となったのです。『わあなたが、その見聞きした事につき、すべての人に対して、彼の証人になるためである。』(使徒22:15)キリスト・イエスのクリスチャンへの大命令なのです。