Sunday, May 18, 2014

神さまの確かなみ手

「ああ人よ。あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。造られたものが造った者に向かって、「なぜ、わたしをこのように造ったのか」と言うことがあろうか。」ローマ9章20節
 全ての始まりはビッグバーンであるとする科学的説明に対して、聖書は、唯一の神さまが、ロゴスと言われる言葉によって、全てを整えられたと記しています。(参照:創世記、ヨハネ福音書)パウロは被造物が創造者に対してなぜと問うことができないと語り、造られた人が中心にいるのではなく、創造者なる神さまが中心に存在する事実を明確に伝えています。人間中心のように見える世界は、神さまの許しと承認の範囲内での自由が拡がっていることが分かってきます。また、聖書には、神さまに対する罪が、神さまを知らないことと要らないと考えることだとも記しています。この事を解き明かして、作られた陶器が造った陶器師に向かって否と言うことがあろうかというのです。創造者なる神さまは、神さまに向き合う存在として人を創造され、その魂をこよなく愛して愛おしんで下さり、罪人のまま永遠の滅びに向かうことを構わないと思わないで、十字架の救いを完成されたのです。今私たちは、その神さまの愛を受け入れますと告白することによって、一方的な神さまのご愛を受けて、永遠の生命が約束されているのです。
唯一の眞の神さまと私たちひとりひとりの関係は、創造者と造られた者という切っても切れない関係にあるのです。救いの招きをいただくというのは、「わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。」(ヨハネ15:11)