Saturday, June 7, 2014

ザアカイの信仰告白

イエスは彼に言われた、「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。ルカ19章9~10節
 「自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。」(ローマ10:9)が、イエスをキリスト(=自分自身の救い主)と告白する意味です。「神は愛である」(Iヨハネ4
:8,16)と宣言される聖書には、唯一の神さまの現存、人の神さまに似せて造られた様子、人間が罪を犯したことをとても深く悲しみ、イエスを十字架にかけてまでも贖いを完成してくださったのです。「イエスは私のキリスト」であることを言い表すことを信仰を持つとか、信仰を告白すると言いますが、その人の心を表現する方法は一通りではありません。ルカ8章には、そっとイエスさまに触ったことが信仰の表現と示されています。(v43-48)また、「多く愛したので、多くの罪釈される」
(7:47)さらに、道の途中で出会った重い皮膚病の人の「私を哀れんでください」という叫び声に応答して、癒された。(17:19) ザアカイの場合はどうであったでしょううか。彼の半生はお金儲けに走ったのでうあないでしょうか。人に憎まれ嫌われながらも嫌がる仕事について、経済力は付いたようです。が、
一向に心の満足が得られなかったのではないでしょうか。多くの困った人や貧しい人々がこぞって話を聞いて喜びの噂を立てていたイエスさまが自分の街を通られるという噂を聞いて、町中の嘲笑を忘れてひと目でもいいからイエスという人にに会いたいと願ったのです。イエスに向かう姿勢に祝福が伴います。